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妻が数日前から、一青窈の「ハナミズキ」が頭の中をグルグル巡っていると言い出しました。
お告げ?で向かった先は、島根県津和野の太鼓谷稲荷神社。
思い立ったのがその日の朝で、奇跡的な乗り継ぎで2時間で福岡から行くことができました。
(僕は、いのちのたび博物館にて子守 笑)
そこの神社のPVがテレビで流されていて、なんとかかっていた曲が「ハナミズキ」だったそうです。
結婚式で、よく使われている曲みたいで、そのPVも神前結婚式用だったみたいです。
その歌詞の中で、「どうか来てほしい、水際まで来てほしい」とあるのですが、あれ?と思い歌詞の本当の意味を調べてみたそうです。
そこで、ある方のブログにたどり着き、意味を知った時涙が止まらなかったそうです。

以下misaさんという方のブログより抜粋

ハナミズキの花言葉は「私の想いを受けとってください」

ハナミズキは、1912年当時の東京市長であった尾崎行雄氏が、ワシントンD.C.へ桜を贈った際、1915年にその返礼として贈られ、日米の友好の木となっています。

「ハナミズキ」実はこの歌は、9.11へのメッセージソングだったのです。

一青窈さんは、アメリカ同時多発テロが起こった時、ニューヨークにいた友人からのメールをきっかけに、涙しながら一週間ほどでこの歌詞を書き上げたそうです。

テレビに映る悲劇は、彼女の想いをA4の用紙3枚くらいにあふれさせました。

最初そこには、テロ、散弾銃、ミサイルという生々しい言葉もあったのですが、テロに対する自分の想いを全部吐き出してから、削って削って最終的に「 君と好きな人が100年続きますように 」というメッセージにたどり着いたのでした。

彼女はこの歌を、テロに対する怒りの連鎖がとまるようにと、祈りをこめて作ったのです。

「自分の好きな人」の幸せを願うことは誰しもが出来ます。

一青窈さんは、そこを一歩踏み込んで「 君」と「君の好きな人」が100年続きますようにと、メッセージしています。

一人一人が自分の好きな人のずっと先の人の幸せを願うことで、怒りの連鎖は止められると、彼女は考えたのではないでしょうか。

この歌詞については、様々な解釈がされていますが、ポイントとなる彼女の想いを知る事ができました。9.11の起こったニューヨークは水辺の都市だった為、彼女は事故当時「客船タイタニックの事故」を連想したようです。

多くの人が逃げ惑う光景は、タイタニックでのそれと重なって見えたのでしょう。

船が沈みゆく中、救命ボートにあとひと少し乗れるという時、『自分と好きな人が助かる』よりも『好きな人とその人が好きな人』を助けたいという想いを皆んなが持てば、もっといろいろなことが変わるのではないかと感じ、彼女はそれを歌詞に託したというのです。

私も映画「タイタニック」を観た時に、娘に言ったことを思い出しました。

「お母さんは、あの状況になった時に、自分もボートに乗らないけど、あんたも助けないと思うよ。他の小さい子に乗ってもらいたいから。」と言うと、娘も明るく「いいよ。」と言ってくれたのです。

その時、私は娘も私と同じ想いでいてくれた事をとても嬉しく思ったのでした。

一青窈さんの、この部分が理解できると、難しい歌詞も読み解く事ができます。

もう一度歌詞を読み返してみて下さい。私なりの解釈をしてみました。

★★★

『僕』は、9.11で亡くなった自分。
『君』は、現世に残した自分の娘。
『母』は、自分の妻。娘の母。空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと

(娘さんの愛らしい姿。ハナミズキの咲くのは5月です。)

どうか来てほしい 水際まで来てほしい

(あの世とこの世の境。娘さんにお別れを言いたいのでは?)

つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

(平和と友好のシンボルとして、ハナミズキをあげる。この心を忘れないで。)

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと 終わりますように

(自分のようにならないで、夢を人生をちゃんと全うできますように。)

君と好きな人が 百年続きますように

(前述した想い。全ての人の幸せを祈る気持ち。)

夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて

(9.11が起こった夏。燃えさかる崩壊するビル。いろんな想いがよぎる。)

一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう

(僕は、救命ボートには乗らなくていいよ。)どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

(他の人に譲る気持ち。平和の為にこの気持ちを誰もが持ってくれたら。)

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと 止まりますように

(娘を残して逝く事へは無念が残る。しかし、テロへの報復の想いを我慢しよう。怒りの連鎖が止まることを願う。)

君と好きな人が 百年続きますように

ひらり蝶々を追いかけて 白い帆を揚げて

(夢を追いかける娘、平和のもとに。)

母の日になれば ミズキの葉 贈って下さい

(お母さんにも幸せを分けてあげて。)

待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ

(ボートから降りた後に、僕を待っていないで。いろんな事情、僕の想いは知らなくていいよ。)

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように

(娘の幸せをひたすら祈る。)

君と好きな人が 百年続きますように。。。。
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親友が、毎日のように社会情勢や政治の事をfacebookにアップしています。
とても深刻で絶対に無視することができない現状を、彼は訴えてます。
いいね!を押すには軽々しくなってしまうのではないか?と思い、読むだけにしています。
現状を知らず、または知ろうともせずに、安穏と生きていくには何か違う。
そう思いながらも、「私は何事に対しても中立的」みたいなええかっこしい自分がいやでいやで。
結局は自分の信念がないだけでした。
でも、妻からこの歌のことを聞いた時

「どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

(他の人に譲る気持ち。平和の為にこの気持ちを誰もが持ってくれたら。)

この1行が全てを語っていることに気づきました。
この瞬間からできることは、譲る気持ち。譲り合いとよく言いますが、こんなにシンプルで当たり前のことが
平和への近道のような気がしてきたのです。

難しいことを知らなくても、やっと自分の信念を確立し、やっと社会に参加・貢献できそうに思えてきた
ここ数日です。


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【2015/02/24 15:15】 | 未分類
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